今回のテーマは「対人依存について」でした
当たり前ですが、依存される人が居て依存する人が居る
依存する相手が全くいない人はそもそも依存ができません
誰かに依存すると言うのは、つまり相手が自分が依存をする事を受け容れてる状態の事を言います
「皆依存されたいですか?」
この問いに全ての人がNO!と答えるならば対人依存と言うモノは存在しなくなります
つまり、表面上はともかく内心はYES!な人が…いや、ひょっとしたら全ての人の心の奥底では誰しもがYES!なのかもしれません誰しもが頼られると程度の差こそあれ嬉しく思う面があると思います
自分を頼ってくる、必要としている相手を得る事で自分が他者から必要とされている事を実感し、自分の存在を認めてもらえてると成るのかなと…
他者に頼られる事で自己肯定感的なモノを上げると言う訳ですね
「自己肯定と言うのは他者からの評価によらず、自分で自分の存在を肯定する事」
みたいですが、言うはやすしですが思うは難しですね(自分含)
自己肯定感的なモノが低いと、自分は駄目だと思っちゃうので他者に頼って依存しちゃうし逆に他者に頼られると舞い上がってしまう…のか
自分では無い誰かの為に!行動する事で他者に感謝され、認められ評価されたい…そんな気持ちが依存者を産む…ああ、これは自分に感謝し自分の存在を認める他者を求める思考であり、これもまた他者への依存かもです
他者からの自分への感謝等が無い場合の怒りは、自分の依存を受け容れてくれない相手への怒りと似ているのかもしれません
その一方で自分で無い誰かに祝い事などあった際に、他人の事で喜んだりできるのは素敵だなと思いますし他人のポジティブな気持ちを共有するのは良いかなと思ったりもしますやはり行動原理は自分の為が良いのかなと思います
過程がどうあれ、目的が自分の為としておけば誰かの感謝等が得られなくても怒る必要は無いですし、自分の為に自分で動ける自分を意識したら何だか自己肯定感的なモノが上がりそうじゃないですか
気になる異性から経済的な事を相談された場合、お金を工面してあげたらハイ!さいならよ!と翌日から連絡取れなくなるかもしれません
怒りますか?それで怒るのは相手の為にお金を工面したのに!となるから怒るのです
ぶっちゃけあれです、そういうのは「気になる異性の気を引きたい自分」の為の行動ですよね?別にそれが悪いとは全く思いません!
ただしそれで思う様な結果にならなくても、それは自分の判断ミスだと思ったら次回からはもっと改良された選択やら行動をすれば自分の望む結果を得られやすくなるかもです
と言う訳で皆さん、気になる美人やイケメンからお金の相談されたら相手の気を引きたい自分の為にマグロ漁船乗って遠洋漁業に行きませう!
次回、ギラリムーンは9月28日の予定です